2021年11月2日の本当にあった!ありえへん世界の衝撃事件では、
母の正体は脱獄犯!32年間の逃亡生活。夫と3人の子どもと暮らしていたマリー。そんな マリー はスーザンなの?32年間の逃亡生活を送っていた、その衝撃の全貌とは!?
母マリーの過去や逮捕され脱獄した、経緯をネタバレです。
マリーの家庭
2008年アメリカ・カリフォルニア州にに住むウォルシュ家。
ウォルシュ家は、5人家族で父のアラン・母マリーに子どもが3人の家庭で、マリーは家族大切にし、ボランティアにも積極的に参加する理想の主婦でした。
そんな幸せな家庭に、ある時からこのウォルシュ家が監視されている気配がし、とうとう警察が訪れてきます。一体何があったのでしょうか?
32年前の脱獄犯の犯行
32年前の1986年、ミシガン州デトロイト女子刑務所から1人の受刑者が脱獄していました。
麻薬取引を現行犯逮捕され麻薬組織のリーダーとして懲役20年の判決を受け服役していた、19歳のスーザン・ルフェーブルという人物だった。
スーザンは毎日夜遊びしていたある日、彼氏から頼まれて車を出します。彼氏から言われるまま運転すると目的地には男が1人いました。
逮捕されてしまった当時のスーザンは、マリファナ・ダイエット薬・精神安定剤を摂取するなど荒れていて、不良とつるんでいました。
そんな時、彼氏に頼まれて車で指定された場所へ連れていくことになったのですが、到着した場所には知らない男がいて、彼氏はその男に200ドル相当2.5gの違法薬物を売りました。
ですが、その男の正体は警察官でおとり捜査をしていた為、その場でスーザンはなんと「麻薬組織のリーダー」として逮捕されまったのです。
逮捕されたスーザンは弁護士から、罪を認めれば執行猶予になり保護観察になると言われたので罪を認めましたが、そのようにはならなかったのです。
初犯で、冤罪なのに懲役10~20年という重い判決が下され、再審請求も却下されてしまい、刑務所に収監されることになったのです。
脱獄はどのように行ったのか?
スーザンの面会に来ていた祖父の提案で脱獄することを計画した。刑務所に入って14か月経った頃だった。
脱獄は、看守がいないタイミングを見計らって有刺鉄線のフェンスが張られている壁を乗り越えたのです。
有刺鉄線でけがをしないようにジャケットを使いうまく壁の向こう側へ出たのです。
壁の向こう側には祖父が車で待機していて、1度自宅に行き家族に会いお金をもらい別れました。
新たな地で結婚をする
スーザンは、マリーという名前を名乗り何とか生活をしていた。
脱獄から数年経った頃、アラン・ウォルシュとで出会い結婚に至る。
3人の子どもに恵まれ、幸せな家庭を築いてきました。マリーは近所からも優しく良い母親として知られていました。
マリーの過去は夫のアランはもちろん子どもたちにも話していません。
マリーは過去を完全に捨てて生きていた為、自分の母親が亡くなった時も葬儀には出ることは逮捕される可能背もあるので断念するほどでした。
マリーが逮捕される
マリーの元へ警察がやってきます。誰かの通報で監視されていたマリーの元へとうとう警察が現れたのです。
逮捕後は初めに入っていたミシガン州の刑務所に戻ることになります。
スーザン(マリー)は5年間の保護観察と18か月の仮釈放となったのです。
裁判が行われている時に、スーザンの家族や友人、さらにはアメリカ中からミシガン州知事宛てに、スーザン(マリー)の減刑をお願いする数百通の手紙が届いたというのです。
刑務所を脱獄した罪は重いけれど、真面目に働いていたことや、もともとの逮捕が冤罪だったことが考慮され、刑期は13ヶ月に大幅減刑となりました。
脱獄するとこんなことにはならないのですが、この時は違ったようでした。
スーザン(マリー)のその後
スーザンは刑期を終えると、スーザンではなくマリーとして、カルフォルニアの家族の元へ戻りました。
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脱獄犯スーザンは母マリー?まとめ
- スーザンは19歳の時冤罪で逮捕される
- 刑期が軽くなるからと罪を認めたが騙された
- 祖父の提案で脱獄する
- 逃げた先で結婚する
- 脱獄から32年後に再逮捕される
- アメリカ中からの意見で罪が減刑された
- マリーとして家族の元へ戻る
壮絶な人生を送っていましたね。それにしてもアメリカ中からこんなにも減刑を求める声があったのは脱獄後のマリーの行いが本当に素晴らしかったという事ですね。
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